あれは8月も終わりになる頃だった。
庭の手入れをしていると、門のところで砂利を踏みしめるような音がした。誰か来たんだと、すぐわかったね。見ると、銀色の長い髪と髭をたくわえ、眼鏡を掛けたひょろりと背の高い男が石垣の前に立っていた。
「アルバス!」
「お久しぶりです、バグショット女史」
アルバスは帽子を取り、にっこりと微笑んだ。
わたしは土仕事で汚れた両手を拭く手間も惜しんで傍に駆け寄った。
そのきらきらした青い瞳を見るのは本当に久しぶりだった。
「よく来たね。さあ、お上がり」
アルバスは家にいる間中、ずっと笑顔を浮かべていた。突然の来訪があまりに嬉しかったものだから、わたしはうちでとびきり上等な紅茶を淹れて出してやることにした。ポットを傾け、カップに湯気の立つ紅茶を注ぎ入れる。差し出したカップをアルバスは恭しく受け取った。
「お変わりないですか」
「腰は曲がったけどね、まだまだ若い人には負けないよ」
アルバスは笑顔を浮かべ、カップを手に取った。香りを楽しんだ後、ゆっくりとカップを傾ける。そういう礼儀正しい、優雅な仕草は昔から変わらなかった。
わたし達はテーブルに向かい合って座って、色々なことを話した。
アルバスの学校のこと。それからわたしの話。もっとも、滅多に家を離れることがないひとり暮らしの老婆の話せることなど、たかが知れている。わたしの情報源は毎日届けられるデイリー・プロフェットだけだったけれど、最近はそれすら読まずに捨てていた。どうせ読んでも知りたいことは書いていないのだ。
そこで話したのは、庭の手入れにかかる苦労、最近覚えた腰痛に効く軟膏の調合、近所で小耳に挟んだ噂話――。
そのいずれにもアルバスは相槌を打ちながら、興味深げに耳を傾けてくれた。
やがて話題がなくなったわたしが押し黙ってしまうと、まるで見越していたようなタイミングで『魔法史』の注釈について質問をしてきた。やれまあ、すっかり忘れていたよ。わたしがあの『魔法史』の著者ってことを。
もちろん、聞かれた以上のことを説明してやったよ。なにせわたしの十八番だからね。最近のことにはとんと疎いのだけど、昔のことならまだまだ若い人には負けやしない。
気付けば、日が落ちかけていた。
こんなに人と話したのは久しぶりだった。
人と話すのはいいものだね。ずっとひとりでいると、大抵、人はおかしくなるからね。
遅いか早いかの違いって、結局、そういうことじゃないかねえ。
照れ隠しに冗談めかしてそう言うと、アルバスは黙って笑みを浮かべた。
「ところで…」
そう言って、わたしはカップに目を落とす。
紅茶に映るアルバスが、眼鏡の奥からじっとこちらを見ている。
「ゲラートはどうしてるかねえ」
もう何年も、あの子の姿を見てないんだよ。
「彼なら元気ですよ」
アルバスが静かな声で答える。
それ、本当かい?
…
ふふ、なんだいその目は。
疑ってやしないよ。
親友のあんたが言うんなら、そうなんだろう。
あんた達は本当に仲が良かったからねえ。
ああ。よかった。
あの子が出ていった後、わたしは内心不安で不安で仕方なくって、夜も眠れなかったんだよ。
ずうっと気にかかっていたんだ。
本当はあの時、無理にでも引き留めていればよかったんじゃないかってね。
…
ああ、それ?
気に入ったのかい。
見事なものだろう。
昔ロンドンに行った時、クイーン・メアリーズ・ガーデンで見かけたのを思い出してね、
うちでも育ててみたくなったのさ。
見ての通りまだ蕾ばかりだけれど、一斉に花開いたら、さぞかし綺麗だろうねえ。
わたしの数少ない楽しみだよ。
そうだ、咲き誇る頃にまた来るといい。
弟と妹も連れておいで。
「ええ、是非」
テーブルの向こうでアルバスが、にっこりと微笑みを浮かべた。
◇
アルバスの死を知ったのは、その数年後の夏のことだった。
丸めてくずかごに捨てようとしていたデイリー・プロフェットの一面に、追悼記事が載っていた。そこにはホグワーツ魔法魔術学校校長としての経歴と華々しい功績が長々と綴られていた。
ホグワーツだって?
それじゃあの子は、教師になる夢を叶えたのだね。融通をきかせてやるとわたしは常々言っていたものだけれど、自力で。大したものだ。流石はわたしが見込んだ子だよ。
それにしてもひどい話だ。
若くて才能のある子ばかりとっとと逝っちまって、こんな老い先短い年寄りばかり残されるのは、一体全体、どうしてなんだろうねえ。
◇
去り際、アルバスはローブの懐から白い薬袋を取り出して、ベッド脇に据えてある棚に置いていった。
「薬はここに置いておきますね」
「そんなもの飲まないよ、わたしは」
苦いのは嫌いなんだ。
あんたと同じさ。
「そうおっしゃると思いまして、砂糖を加えても効果が変わらないよう調整しておきましたよ」
あとはお好みで。
そう言うとアルバスは、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。
よく眠れますよ。
思わず顔がほころんだ。
笑いながら、屈み込んだアルバスの肩に手を回して、軽く叩いた。
そうかい、そうかい。
あんたが言うんなら、そうなんだろうね。
20111212